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2011年3月

2011年3月31日 (木)

節電?…停電?…

相変わらず電車の運行状況を見ると、運休の文字が目立つ。まぁ、最近では一部運休に変わりつつはあるようだけど。

その理由を見ていると…
私鉄各線は「節電」としているのに対してJRはいまだに「停電」のためとしている。計画停電の中でも電車は動いていたと思うんだけど…
なぜ、素直に「節電のため」としないのかな。その方が現実に則しているような感じがするんだけど。

違和感を感じるのは私だけだろうか…

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2011年3月26日 (土)

計画停電

明るい街並みが一転して、暗闇を走る電車に変わった。いつも見る街の灯りは無く、車のヘッドライトがそこに道路があるという唯一の証しとなる。

アナウンスが流れた。

「沿線では計画停電が実施されているようです。気をつけてお帰り下さい」


駅の周辺は真っ暗だった。街灯も信号も家々の灯りも消えていた。漆黒の街…

自宅近くに来て、空を見上げた。綺麗な星空が広がっていた。何だか新鮮で嬉しかった。ここでこんな星空を見るのは子供の時以来だったな…忘れていた記憶がよみがえってきた。


学生時代、私は地方都市にいた。深夜、車を走らせて山あいに入ると、そこには満天の星空が広がっていた。吸い込まれてしまいそうな暗黒の空が広がっていたのだ。

停電して気が付いたこと、いかに都市部の空が明るいかということである。やはり、停電で辺りを暗くしても、周辺都市の灯りが空に反射して明るいのである。

もしも、大規模停電が起きたら…
それも悪くないかな…そんなことを思っているうちに停電は終了して、いつもの明るさに戻った。

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2011年3月24日 (木)

使命感と責任感、そして正義感…

震災以来、夜はUstreamでNHKニュースと東京電力、原子力安全・保安院の会見を掛け持ちしながら観ることが日課となっている。

昨日のニュース、町の防災無線で津波からの避難を必死に呼びかけて、自らも行方不明になってしまった市の防災担当のまだ若き女性…彼女の父親が言った言葉…
「娘は使命を果たした…」

命をかけて原子炉の放水に当たった消防士、避難区域で被災者の救出を行う自衛官や警察官…


職務とはいえ、その使命感や責任感、そして、その正義感には涙が出てくる。


東京電力と原子力安全・保安院の会見は、とにかく最低である。同じ穴のむじな。使命感、責任感、正義感すべてゼロ。最低を表すと、こういう会見になるのだろうと思った。

原子力安全・保安院の担当(いつも中央にいるから、それなりの役職に付いている者だろう)に至っては、時々笑顔を見せながらの会見。不謹慎も甚だしい。

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2011年3月22日 (火)

大丈夫だよ…

「大丈夫だよ…大丈夫だよ…」

繰り返し繰り返し言った。そんな言葉しか思い付かなかったから…
そして、その言葉は自分にも向けた言葉だった。


みんな同じなんだな…って思った。誰もが不安に思っているから誰も「大丈夫」という言葉は言わない。でも、誰かが言ってくれると、落ち着くし、安心感を覚える…


まだ子供が小さかった時のことを思い出した。不安に陥り、泣いている子供を抱きしめながら「大丈夫だよ…大丈夫だよ…」と…いつの間にか胸の中で寝入る子供。あの時、一番安心したのは自分だったかもしれない。


先日、ラジオで言っていた。「頑張れ」という言葉は負担になると。でも、頑張れは「顔晴れ」とも書ける。

そうだよな…と思った。暗い顔をしてないで、せめて明るい顔で振る舞えば、誰かを幸せにすることは出来るのだろうな…って。


言葉は素晴らしい力を持っている…そう思った。

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2011年3月18日 (金)

東北関東大震災

スーパーの食品売場、米やインスタント食品の棚は空、懐中電灯は1本も無し、電池も無し…みんな買い占められてしまった。自分さえ良ければなのですか?


ガソリンスタンドは1キロ先から大渋滞。あるのに更に入れる。ガソリンスタンドのハシゴをしてる人もいるらしい。車での外出は控えればいいでしょ。公共の交通を使えば…それに、こんな時なんだから、歩けばいいじゃん。


昨日寄ったコンビニ。空の棚が悲しい…


本当に必要としている人に行き届かない原因のひとつになってることに気が付かないのでしょうか…


電力節減で、無駄な照明や看板の灯りを消している。駅のエスカレーターは止まっている。CO2削減! エコ!と叫んできていた割に、今までこれほどに徹底したことあったでしょうか…

やれば出来るじゃん。


石原都知事は津波になぞらえて暴言を吐きました。確かに被災者に配慮のない発言です。でも、全てが間違っているとは思えない。人間のおごりに対する自然からの警鐘であることは間違いない。もう一度、本当に大切なことを考えてみなくてはならないと思う。生きていることの素晴らしさも人の優しさも…

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2011年3月15日 (火)

計画停電( 輪番停電)

計画停電の影響で電車は運休と間引き運転が行われている。そりゃ不便である。日本の鉄道はとにかく正確であるし、長年そんな中で生活してきたのだから、いきなりそんな状況におかれたら、不便に思う気持ちは強い。


正確さゆえに、数分の遅れでも許せない。少し待てばすぐに次の電車が来るのに、無理やりにでも乗ろうとする。どことなくギスギスした気持ちが強く、思いやりの気持ちは失っていた。
そして、便利になりすぎた生活は、一番大切な心のゆとりさえ奪っていた。

途中の駅で20分以上の待ち時間があったので、改札の外に出てみた。いつもは煌々と照らされた蛍光灯が消されていた。薄暗かった…でも、これでいいじゃないかと思った。


駅に着き、表に出たら真っ暗だった。計画停電の地域に入ってたようだ。ふと、子供の頃を思い出した。日本の原風景、こんな景色を遥か昔見たことがあった。忘れていただけの風景…
自然に空を見上げた。晴れていたら、きっと星が綺麗だろうな…

これもいいじゃないか…

そう思った。

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2011年3月13日 (日)

東北地方太平洋沖地震

それは映画のワンシーンを観ているようだった。

その日、その時、とあるショッピングセンターの4階にいた。ちょうどエスカレーターを昇り、フロアを歩き始めた時だった。

バチっという鈍い音と共に照明が消えた。すぐに非常灯が点いたが、薄暗いままだった。どうしたのだろうか…そう思った瞬間だった。地鳴りのような音と共に激しい揺れが襲った。収まることもなく、揺れは激しくなる一方であった。突き飛ばされるような揺れに立っていることも困難になり、床にへたり込んでしまった。為す術は全く無い。こんな時、人間は無力である。

薄暗い中、だんだんに大きくなる揺れ、建具が歪み壁や床が波打つ。建物自体が軋む音が薄暗いなか響いた。本当に恐ろしかった…
激しい揺れの中、先日起きたニュージーランドの地震が頭をよぎった。もしかしたら死ぬかもしれない…そう思った。揺れの時間がとてつもなく長く感じた。

ようやく揺れが収まり、フロアにいた人は非常階段で避難を始めた。パニックになってもおかしくない状況であったが、みんな意外と冷静であった。殺到することもなく、譲り合いながら出口に進んだ。こんな緊急事態だったにも関わらず、争いも起きずにスムーズに避難出来たのが救いであった。


外に出てしばらくした時、再び大きな揺れが襲った。余震にしては大き過ぎる。本震の大きさがその時は理解出来てなかったので、そう思ったことも当然だったかもしれない。


しばらく待てば電車は動き始めるだろう。そう思いながら駅に向かう。その時点で、まさか交通網がすべて麻痺しているなんてことは夢にも思ってなかった。徐々に入ってくる断片的な情報から、未曽有の災害だったことがわかり始める。

臨時の避難所が案内される。
とりあえず幹線の走る駅まで行こう。そう思い、とにかく歩き始めた。信号は消えていた。まだ明るい日中だったので、分からなかったが、ライフラインが絶たれていたのである。

道路は交通統制を失い、激しい渋滞が起こり始めた。これほどの人が歩くことがあるのだろうか…そう思うほどの人で道路はあふれた。


日が暮れ始め、夜のとばりが近づく。鉄道は復旧の見通しどころか、駅を閉鎖するという考えられない方向に進んでいた。

街は帰宅難民であふれ始めた。路頭に迷う人たち。幾度となくテレビニュースでは見かけたことのある光景、自らが当事者になるとは夢にも思っていなかった。

避難所に行くか迷った末、歩くことに決めた。20キロ近く歩いた深夜、運良く動き出した電車に乗れて、帰ることが出来た。時間は午前3時を回っていた。帰ることが出来ただけ幸運であったと思う。

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2011年3月 9日 (水)

悲しくて

電車の中、前に座った人が携帯を見ながら泣いていた…かく言う私も目頭を押さえる。さっきから涙が止まらないんだ。

端からは本当に泣いているように見えるだろう。この時間になると、完全に薬も切れているし、大変なんだ…

今年の花粉はすごい…

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